372 帚木蓬生 「襲来」
- 2018/12/26
- 23:38
日蓮上人に仕えて、対馬で防人をした男のお話。
帚木蓬生らしい、実直で誠実な視点に安心する。
中学生でギターを覚えた頃に、さだまさし「防人の歌」を知ったけど、余りに暗くて覚えるのを止めたけれど、
長崎生まれのさだまさしは、史実を知っていて歌を書いたのだなぁと想像した。
帚木蓬生は福岡県立明善高校出身、久留米藩の藩校が前身の高校。
故に筑後川の下流を舞台にした小説を数多く残している(「日御子(ひみこ)」、「天に星、地に花」、「守教」などなど)。
こうした自分の「箱庭」を持っている作家は強い。
と、作家とその「箱庭」を思い出してみたら、けっこうあるある。
北海道には佐々木譲と桜木紫乃
大阪に宮本輝
大牟田に西村健
仙台の伊坂幸太郎
東京下町には宮部みゆき、東野圭吾
横浜と言えばこの人、矢作俊彦
歌舞伎町と六本木に大沢在昌、あ、歌舞伎町には馳星周も居る
沖縄の池上永一(出身だしね)
上野・鴬谷なら西村賢太
2008年に急性骨髄性白血病が見つかり、即ICU(集中治療室)行きになるも、
ICUのテントの中で執筆していたというから、この人の「使命感」は尋常ではない。
そして病院から帰り、自らの精神科医院を続けながら「日曜作家」として書き続けている。
ギャンブル依存症から脱却する為の実用書も多く、講演や断ギャンブルのミーティングも開催してい。
もう一度述べるが、この人には「使命感」がある。
そうだ。で、本著の話だ。
安房(千葉県)の小湊の漁村の孤児、見助の視点でお話は始まっていく。
まだ記憶もない赤ん坊の頃に、父母が必至に浜へ上げてこと切れた子を、一貫爺さんが引き取って育てている。
爺さんは見助が14歳の時に他界するが、その前に「この餌木(疑似餌)で鯛が幾らでも釣れる、だが他の者に餌木を見せてはいけない」と残す。
見助は爺さんの仕事を引き継いで、その地を治めている守護の富木様の館へ、魚を納入していくのだが、
ある日富木様から来ているお坊様の漣長を、お寺までお送りするように申し付かる。
そこから見助と漣長の交流が始まっていく。
清澄寺に仕えている漣長は、当時北条氏の世を席巻していた浄土宗の念仏派に強い疑問を持ち、鎌倉へ行って自らが信じる法華経を広めようとする。
それを後押しする富木様から、見助は鎌倉へ一緒に行くよう言われる。
(清澄には大学の演習林があって、合宿で単位を貰いに行った♪♪ 地場の魚が美味かった♪)
見助と後の日蓮の物語の幕開きだ。
小さな草庵と辻説法から始まった日蓮の布教は、じわじわと信徒を増やしていく。
駿河の寺に籠って、蔵の蔵書から日蓮は、各法をでの災いは大方既に起こっているが、他国侵逼の難と自界反逆の難が残っていると判断する。
他国侵逼は間違いなく日本の西側の朝鮮半島から来ると想定した日蓮は、見助に対馬に渡って他国の侵略の兆候を自分に知らせる斥候役になってくれと頼む。
そうして見助は対馬に渡り、そこで暮らし有事が迫ってくると狼煙台を守る者となる。
だが、見助には敵と戦う事は許されておらず「日蓮の目耳となり、侵逼の様子を日蓮に知らせる為に生き延びる」という使命があった。
見助は対馬と日常的に貿易をしている釜山に渡り、大陸の状況なり挑戦半島の情勢を聞き、日蓮に手紙を記す。
(鎌倉へ行く前に、仮名を富木様が自ら教えてくれ、筆硯墨に紙を沢山頂いている)
さて、対馬で見助は何を見ていくことになるのか、
また、日蓮はどうなっていくのか。
それは読んでのお楽しみ、としておこう。
帚木蓬生は「厳しい時代や環境に生きた市井の人、無名の人の功労」にライトをあてる事が好きだ。
その点ではプロテスト作家とも言え、私は「硬の飯嶋、軟の帚木」と名付けている。
飯嶋は飯嶋和一の事で、プロテスト色というか反勢力のメッセージがより強い。
でも、それはそれで熱病のように、我々読者を物語の中へ引っ張り込む力に富んでいる。
一方の帚木は、プロテストの物語の中に温かいヒューマンドラマを織り込む事に長けている、だから「軟」なのだ。
まだまだ、帚木蓬生の新しい物語に接してみたい、と今回も思わせられた。
(2018/12/7)
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帚木蓬生らしい、実直で誠実な視点に安心する。
中学生でギターを覚えた頃に、さだまさし「防人の歌」を知ったけど、余りに暗くて覚えるのを止めたけれど、
長崎生まれのさだまさしは、史実を知っていて歌を書いたのだなぁと想像した。
帚木蓬生は福岡県立明善高校出身、久留米藩の藩校が前身の高校。
故に筑後川の下流を舞台にした小説を数多く残している(「日御子(ひみこ)」、「天に星、地に花」、「守教」などなど)。
こうした自分の「箱庭」を持っている作家は強い。
と、作家とその「箱庭」を思い出してみたら、けっこうあるある。
北海道には佐々木譲と桜木紫乃
大阪に宮本輝
大牟田に西村健
仙台の伊坂幸太郎
東京下町には宮部みゆき、東野圭吾
横浜と言えばこの人、矢作俊彦
歌舞伎町と六本木に大沢在昌、あ、歌舞伎町には馳星周も居る
沖縄の池上永一(出身だしね)
上野・鴬谷なら西村賢太
2008年に急性骨髄性白血病が見つかり、即ICU(集中治療室)行きになるも、
ICUのテントの中で執筆していたというから、この人の「使命感」は尋常ではない。
そして病院から帰り、自らの精神科医院を続けながら「日曜作家」として書き続けている。
ギャンブル依存症から脱却する為の実用書も多く、講演や断ギャンブルのミーティングも開催してい。
もう一度述べるが、この人には「使命感」がある。
そうだ。で、本著の話だ。
安房(千葉県)の小湊の漁村の孤児、見助の視点でお話は始まっていく。
まだ記憶もない赤ん坊の頃に、父母が必至に浜へ上げてこと切れた子を、一貫爺さんが引き取って育てている。
爺さんは見助が14歳の時に他界するが、その前に「この餌木(疑似餌)で鯛が幾らでも釣れる、だが他の者に餌木を見せてはいけない」と残す。
見助は爺さんの仕事を引き継いで、その地を治めている守護の富木様の館へ、魚を納入していくのだが、
ある日富木様から来ているお坊様の漣長を、お寺までお送りするように申し付かる。
そこから見助と漣長の交流が始まっていく。
清澄寺に仕えている漣長は、当時北条氏の世を席巻していた浄土宗の念仏派に強い疑問を持ち、鎌倉へ行って自らが信じる法華経を広めようとする。
それを後押しする富木様から、見助は鎌倉へ一緒に行くよう言われる。
(清澄には大学の演習林があって、合宿で単位を貰いに行った♪♪ 地場の魚が美味かった♪)
見助と後の日蓮の物語の幕開きだ。
小さな草庵と辻説法から始まった日蓮の布教は、じわじわと信徒を増やしていく。
駿河の寺に籠って、蔵の蔵書から日蓮は、各法をでの災いは大方既に起こっているが、他国侵逼の難と自界反逆の難が残っていると判断する。
他国侵逼は間違いなく日本の西側の朝鮮半島から来ると想定した日蓮は、見助に対馬に渡って他国の侵略の兆候を自分に知らせる斥候役になってくれと頼む。
そうして見助は対馬に渡り、そこで暮らし有事が迫ってくると狼煙台を守る者となる。
だが、見助には敵と戦う事は許されておらず「日蓮の目耳となり、侵逼の様子を日蓮に知らせる為に生き延びる」という使命があった。
見助は対馬と日常的に貿易をしている釜山に渡り、大陸の状況なり挑戦半島の情勢を聞き、日蓮に手紙を記す。
(鎌倉へ行く前に、仮名を富木様が自ら教えてくれ、筆硯墨に紙を沢山頂いている)
さて、対馬で見助は何を見ていくことになるのか、
また、日蓮はどうなっていくのか。
それは読んでのお楽しみ、としておこう。
帚木蓬生は「厳しい時代や環境に生きた市井の人、無名の人の功労」にライトをあてる事が好きだ。
その点ではプロテスト作家とも言え、私は「硬の飯嶋、軟の帚木」と名付けている。
飯嶋は飯嶋和一の事で、プロテスト色というか反勢力のメッセージがより強い。
でも、それはそれで熱病のように、我々読者を物語の中へ引っ張り込む力に富んでいる。
一方の帚木は、プロテストの物語の中に温かいヒューマンドラマを織り込む事に長けている、だから「軟」なのだ。
まだまだ、帚木蓬生の新しい物語に接してみたい、と今回も思わせられた。
(2018/12/7)
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